2011年も

残り70日!(ざっくり数えた)


うち、休日は24日、で平日は46日。
(ざっくりだから違うかも)


この前、年初の目標を立て、気持ちを新たにしたと思ったら
もう残り少なくなっている。
時間は意識しないとあっという間にすぎていき、そしてブログも放置放置…


ジョブスの「明日が人生の残された最後の一日だったら、今、しようとおもっていることを本当にするだろうか?」 という問いかけに対して、そうだ、ほんとうにしたいこと、したいと思えることだけをすべきだと「共感」を覚えながらも、実際実行できているかというとそうともいえない。


そうして時間だけは過ぎていってしまう。


24回の自分だけの休日でいったい何が成し遂げられるだろう。


46回の平日をルーチンに繰り返すだけで何が身に付くだろう。


毎日、同じことを繰り返すってすごくラクなこと。

だからそっちに流れていくことは必然なことなんだと思う。

それがいやなら意思の力で、変えるしかない。
言い訳なんて星の数ほど散らばってるしね。



そんなことを思って、久々に更新してみた次第。

夕学五十講「ヒットに方程式はあるか」

今日は丸ビルでこれを聴いてきました。
講師紹介 | 夕学五十講

ヒット商品の作り方に方程式はあるのか、
そのために何が大切なのか、実際にヒットに繋げるためのスキルや力はなんなのか。
売れた本の事例を基に、ときに脱線(でも面白いエピソード)しながら、あっという間の二時間でした。


まぁ内容はブログでかくことではないので控えるとして、
話の中ではっとしたエピソードがありました。


それが「携書」ができるときのお話。


「新書」のシリーズを作ろうとした時に、社内では他社の価格や装丁と同じものを作ろうとした動きがあったそうだ。でも、そこで社長自ら、「なぜほかと同じにするのか」と社内に対して、したのだそうだ。


出版物に限らず、たいていのことはどうしても作り手思考になりがち。


そんなときは、「本質を見る」「お客様を見る」ということを大切にしなさいと言っていた。


(そこから値段や装丁もすべて見直されて、他社の新書とは全く別のものになったし、読者の評判も上々だったそうだ)


そんな話を伺いながら自分のことを振り返ると、地図の範囲や仕様を考える時、「観やすいから」よりも「コストが安いから」「作りやすいから」ということを無意識に優先していることにはたと気がついた。
しかもたちが悪いことに、それは「当然のこと」のように自分に刷り込まれている気がした。


逆に今の部署に来た2年前は、作り方なんて全然知らなかったから、というか知らないことをいいことに、そんなに地図が詳しい風に作るけど読者に伝わんなかったら意味ないじゃんよ、と(やや斜めに)モノを見ていた。うん、知らないっていいことですね。


おそらく。
作り手視点でモノを作ることって、ときに大切だし、一面ではコストカットになって多大なリターンがあるのかもしれない。
でも、なんというか、思想の問題なのかもしれないけど、自分が関わっている商品で「作りやすいし」を自分の中での動機付けにしているのなら、「はぁ?」って自分で自分に突っ込むべきだ。
それを判断基準にしているうちはいいモノなんてつくれっこないよ。
改めて、そう感じたんだよね。


ちなみに、別にいいモノをつくるためには、採算度外視、コストも時間もかけてよし!と言っているわけではないです。



なんというか、きっと自分は売れるものに携わりたいんだね。
そして同時に売れるためだけで思想のないこともしたくない。
作ると売るにどちらにも関わりたいんだな。
なんてわがままなんだろうか。

6月9日に生まれて

ロックの日です!
32になりました。。
毎年、ドナルドと同じ誕生日です、ってつかみが書かれている、そんな日記です。


毎年、ここで所信表明をかいているんですね。


今年は、どうしようかな。


32になっても実感するのは、自分の地に足の着いてない生き方だなってこと。
これはきっとどうしようもない部分なんだろうな。
いろいろと愛想もつかされて、それでも変えられないのだから。


そんな人間だけど、目標と計画だけはつけていきたい。


それは振り返った時に、面白いから。それだけだけど。


今年は、ロールモデルを見つけよう。
30代の生き方を決めよう。
で、ちゃんと10年間それを細く長く、続けてみよう。
たとえば毎日、腹筋するとか。するときっとマッチョになるね。
たぶんやらないけど。


僕ら三十路は時間を積み重ねることの「力」を知っている。
それは10代のときにはほとんど知らなかった感覚。
きっと、それはつよみだ。


なりたい人間、なりたい人生、
完璧はなくとも、それに近づけることなんていくらでもできるんじゃないか。
あとは具体的に、うまく詳細に、それをイメージするだけだ。
それがうまくできるかどうかなんだ。おそらく。



今年も不謹慎な人間ですが、どうぞよろしく御願いします!!!

南三陸に行ってきました。

すっかりブログをかくという行為から遠ざかって久しいわけですが、
twitterによって吐き出す欲求が満たされているからにちがいないわけですが…
まぁ日記風に残すことにも、改めて読めるというメリットがあるので
ちゃんとかいておいた方が良い気がします。
せめて月に一回くらい。笑


免許停止をくらっていたのですが、講習を経て、復活しました。
がんがん乗れます、普通自動車


ということで、5月末、
自家用車で東北をたずねてきたわけです。


今回は、ボランティアではなく、いわば観光。


松島に一泊して、石巻と南三陸を車で回ってきました。


本当は泥かきでも出来れば良かったのだろうけど、
どうしても被災地の実際の姿を観ておきたくて。
前回の石巻ボランティアでは観ることができなかったので。。


で、実際にどうだったのかと…一言でいってしまえば、
3ヶ月前のママ。


石巻は海岸から10km離れた場所だったからか、落ち着きを取り戻していたのだけど
海岸線沿いはまだにがれきが残る状態で。
そこに「がんばろう石巻」の看板が。


なんだか言葉もない。


正直、ボランティアでどうにか出来るレベルではなく、什器が必要だろうし、撤去できるスペースも必要だろうし…政治の力が必要な場所なんだと痛感した。
なのに、そのタイミングでの政局の混乱。。
ほんと、今回ほど政治不審になる局面はなかったと思うな。。


でも、もう一つ分かったのは、ボランティアはまだまだ必要と言うこと。


今後は、支援とか援助とか、一方的な力添えだけでなく、
この場所が再び街として蘇り、仕事や経済が戻って、人の生活が始まることを目指さないといけないんだろうな、と。まだ先なのかもしれないけど。。


いつでもいいから、まだ向こうには「やるべきこと」が確実にあって、
行く価値はあるのだということを身を持って、知ることが出来て、それは本当に良かったと思う。
また行こう、東北へ。

ap bank のボランティアで石巻に行ってきました

ap bank が今回の震災復興のために立ち上げた ap bank fundation for japan。
今回、ピースボートとの共催で被災地ボランティアの募集があったので参加してきました。
正直、現地に行きたい気持ちがあっても、ボランティアはやったことないし、報道では「気持ち先行のボランティアは迷惑」といった記事もあったりで、どうしようかと逡巡していた時期もあったのだけど、ap主催であれば、なんとなく参加者の顔が想像できるような妙な安心感があったので(フェスに来ているような人が参加するんだろうなぁ…って)深く考えずに参加を決めた。


事前の説明会で、持ち物や現地の様子の詳細な説明を受ける。その後、6人一組になり、現地で動くフループ分け。女子の方が参加者が多くてびっくり。肉体労働だと言うのに。女性の方が行動力あるんだろうなぁ。日本男子がんばれ!


さて、当日。
金曜の深夜発で早朝に石巻へ。ボランティアは、専修大学でキャンプを張っています。


現地でやったことは、保育園の泥かき作業。
側溝からヘドロで汚染された園内の土をかいて安全に使える場にする。訪問先は沿岸から5kmほどの場所。河から溢れた水が1週間ほどひかずに、50cm~1mほど浸水もしたらしい。のだけど、今では復興作業の成果か街を歩くに平静を保っているといった感じ。


作業は丸二日間。小雨が降ったり、暑くなったりでかなり過酷な状況での肉体労働。
実働では一日、5〜6時間くらいだったので、ひいひいと言ってばかりもいられないのだけど、けっこうきつかった。。1週間以上、滞在している人もいるのでその大変さは推して知るべしといったところ。


泥かきの土嚢のたば。4000個以上に。


専修大学からバスで現地へ


側溝の泥かき


こどもの日に備えて、鯉のぼりをあげました。


ちなみにボランティアの住環境は、といえば。
apfesで使用しているトンガリ屋根のテントの下に10人程度、一人1畳の板の上に寝泊まりします。重要なのは、寝袋の下のマット。これがないと貴重な睡眠がじっくりとれない可能性があると感じました。またコンロもチームの方が持ってきてくれたのだけど、非常に重要。ラーメンがうまいのなんのって。やはり食料は多めがいいと思います。


5月上旬は深夜がかなり冷え込んだのだけど、これからの季節は暑さ対策の方が重要かも。
作業で汗かいて、冷えるときついしね。


フェスでも使われたテント


いろとりどりのテントも。

    1. +

ボランティアの意義について、いろんなところでいろいろいわれていると思います。
個人的に思うのは、あれこれ考える必要なく、「目の前で倒れている人に手を差し伸べる」その反射神経で反応していいんじゃないかと思います。もちろん、行かない人に対して非難の目を向けるのも筋違い。


する側の立場でかんじたことは、正直、もっと効率的に動いて、もっと役に立ちたいというもの。傲慢な考えということは承知の上で。現地では集団行動のため、どうしても指示待ちや行き違いからの翻弄と言うことは出てくるものです。参加している立場であれば、それを守るのは当然。ap事務局も、待つことも仕事と口を酸っぱく言っていました。


たしかにそうなんだけど、もっとフットワーク軽く、現地の人と協力してやれれば、もっとできるのではと歯がゆさを感じたことも事実です。これはボランティア主催者への批判ではないし、独りよがりの感想と受け止めてもらってかまわないのだけど、正直なところ行ったからには十全に役に立ちたい気持ちは非常に強い。これは多かれ少なかれ、ほかのメンバーにもあった感情ではないかと思うのです。
だから行って満足とはまったく思えないし、これからも非常に大切。



一方で、事務局の人が「ボランティアは心の支援」とも言っていたのも真実だと思って。


たとえば。自分が被災して撃ちひしがれているところに、まったく縁もゆかりもない人たちが東京くんだりから大挙して押し寄せてきて、一気にマンパワーでドブ掃除して去っていく。
それって、効果の大小ではなく、すごいことなんじゃないかとも思うわけです。


保育園の園長はボランティアの訪問に泣いていたとも聴きました。
手を差し伸べること、まずそれが現地の復興の「気持ち」を後押しする効果があるんじゃないかという小さいながらも大きな効果を実感しました。
それは金銭だけではない、実際に行動で、態度で、手を汚してこそ、できることなのかな…と思いました。

ただ、これはあくまでやる側の希望的観測。押しつけになってもいけないし。


言いたいことは、迷ったなら、行けばいいんじゃないかなぁということ。
自分にも言い続けたいし、ちょっと二の足を踏んでいる人も言いたい。

トラベルライター、寺田さんのバースデイパーティへ

2009年のバリ島クラブメッドへのプレスツアーでご同行した、トラベルライターの寺田直子さん。精力的に世界中を訪れ、旅の魅力を伝えるアクティブなライターの方です。
ハッピー・トラベルデイズ


今回、彼女が自身で主催するバースデイパーティがあったので参加してきました。
じつは、このパーティ、主旨は被災地の復興を祈ってつながろうというもので、参加費は義援金に、料理も茨城・千葉産の野菜を使うなど支援を意識した会になっているのです。


寺田さんともツアー以来会っていなかったのですが、ほんとうにたまたまネットサーフィンしていてブログで今回の会を知り、これも何かのご縁と、参加したのでした。


120名以上の人がこの趣旨に賛同し、集まってこられたというのは、今回の震災でみんななにかをしたいという意識を強く持っているということの現れであるとともに、誰もがひきつけられる寺田さんのお人柄あってこそなのだということを痛感した次第。


おかげさまでピースフルな時間を過ごすことが出来ました。