未来の自分に対する責任

ぐだぐだと将来について考えることがあります。
毎日、そんなことばかりかんがえているわけではないのだけど、答えのないことについてうだうだ執着してしまうのは、これはもう性格。


そんな個人の人生だけど、当然ながら社会的な背景や、経済状況などもかんがみて、人生設計をするのが、まぁ戦略的なものの考え方なんだろうなぁとおぼろげにも思うのですが。
しかし、結局、未来なんて透視してもまったく予測がつかないことばっかりだ。


そもそもギリシアやらイタリアやらスペインやら、遠く自分と全く関係のない国が破綻しそうになっただけで我が身に降り掛かってくるような時代だ。
アメリカの会社がつぶれただけで(だけじゃないんだろうけどさ)経済が冷え込んだり、ゆえに給料が下がったりもする。


人生の先を読んで生きることが大切、と肝に銘じてはみるものの、大変な時代は続き(いつでも言われていることだろうけど)劇的に何かが改善されることも光明が射すこともない。


こんな人間だけども多少は保守的に、とらなくていいリスクはとらずに、致命的なミスもなく、生きては生きたいと思っている。けど、何があるか判らない世界の中で(とくに今年はそう思った)安泰な場所などはもうホントにないんだなぁと言うことが身にしみて感じさせられる。


これまでももちろん言葉では理解していたけど。


そんなときになにが人生のエンジンになるんだろう、って考え直してみると、やっぱり「好きなこと」なんだろうなということにいくつくわけです。


長く生きていると(まぁそれなりにアラサーだし)好きなことを周りに置いてもいるけれど、そうでもないものも時々交じっていて、それに気付いたとしても置きっぱなしにする。受け入れる術を身につけてもいるから苦痛ではない。だけど、もっと純化できるんじゃないかと。
断捨離が流行っているけど、その「思想」と共通するというか。



ジョブズは集中と選択で、やれるものを最低限に絞って、それ以外はばっさり切って、徹底的にリソースをつぎ込んだ。


意識的に捨てることもときには必要。


というか、捨てる、ということはたいして重要じゃなくて、「エンジン部分」の精度に対して常に神経を尖らせてないといかないんだろうな、ということ。


社会状況や関係性がどんなに変わっても、影響を受けない自分だけのモチベーションを持たないと先に進めないかもしれないなと。


いろんなことがあるけれど、一番たいせつなのはモチベーションじゃないですか。


それがあるか、ないか。仕事だけじゃなくて、すべてのことってそこに帰結するんじゃなかろうかと最近、おもうのです。


なんだかまとまらないけど、ひとまずそんな感じ。