昔は憧れだったマスコミ/『2011年、新聞テレビ消滅』

2011年 新聞・テレビ消滅 (文春新書)

2011年 新聞・テレビ消滅 (文春新書)

たまにはメディア論をということで、
辛辣なるテレビ・新聞の構造批判の本書を。


大衆はもはや存在しない
ネットの登場でマスコミは役割を終えた
などなどよく言われることですが、
テレビと新聞の凋落(赤字決算、部数減、入広減…)の
構造的原因を解説しつつ、


「2011年は、新聞とテレビという二つのマスメディアにとっては
墓碑銘を打ち立てられる年となる」


と予言している。


アメリカで新聞業界の崩壊が始まったのが2008年。
これまでアメリカの変化は3年遅れで日本で表れてきたので、
2011年なんだそうです。


ちなみに、地デジ化(草なぎ君復帰!)と
情報通信法がこれに追い討ちをかけると。



たしかにね、
新聞なんて読まなくてもネットで間に合うし
(自分は購読してますが…家が紙切れで埋まる。。)
テレビなんてモノも積極的には観ないですよ。
(一部ドキュメンタリーとスポーツ除く)


就職活動中は、そんな業界に憧れがあったりして、
高給取りだし、情報発信しているかっこよさというか。
でも、やっぱり構造的寡占状態、
まぁ電波の参入障壁みたいなものに守られていて
だからこそ、広告収入は安定していて、
視聴率は根拠ないし、
完全にビジネスモデルが出来上がっていて、
そりゃあ高給もとるさ、というところに行き着いてしまう。



そのへんの批判・分析は本に当たってもらうとして。


個人的に。


それこそ、学生のときはマスコミって
すごい人の集まりなんだとばかり思っていたのだけど
(いや、すごい人たちなんだと今でも思ってますが…)
でも、やっぱ最近は、小さくても個人でも
面白い人はいくらでもいるし、
そういう人たちの方が、奔放で魅力的なモノを
作り出しているじゃないかということに
気付く。


組織って、大きいとなんだかいいことないなと
つくづく思ってしまって、
時代の変わり目のせいか、
その想いはますます強くなっている。


だけど、野原に飛び出していく能力も勢いもないので
行きつ戻りつしているのが最近の状況。


どこの業界も、次のモデルを捜しているのだろうけど
個人のレベルでもそれを模索している。

時代のせいか、
個人の資質か。。