ディアドクター

ようやく観に行けました、西川美和監督作品『ディアドクター』。

http://deardoctor.jp/

全編を通してのザラっとした違和感と
人間の持つ何とも表現しがたい曖昧な部分を見事に
描き切った、傑作。


期待通りの面白さ!


ざっくりとストーリーは…
僻地医療と言われる過疎地域の町医者、伊野(鶴瓶)は
田舎コミュニティみんなに愛される有能な医者。
のはずがだったがが、
癌を抱える1人の患者のワガママを聞き入れようとすることで、
実は伊野が医師免許のない「ニセモノ」の医者と言うことがばれて…



すごくたくさんのテーマを含んでいるなぁと
思いながら、楽しめました。


メインとしては、何がホントで何がウソなのか。
その定義の曖昧さ。
免許さえ持っていれば、本物なのか。
これほど村人に愛されていても、免許がなければ
全てニセモノなのか。


あるいは、ニセモノと知ったときの村人の掌の返し方。
肩書きだけで誰かを盲目的に祭り上げる怖さ。


終末観。どこで死ぬのか。都会と田舎。



そして。
最も腑に落ちたのが
伊野を無免許ながら必死に看護へと突き動かした
悪でも正義でもない、その感情の所在。


伊野は巻き込まれただけ、と言いながら
さしたる正義感も目的もないままに
人の良さから僻地医療のど真ん中に引きずり込まれる。



だけど、無免許でニセモノのはずの伊野がとった行動が
一番人間的で、観る者に安心感を与えたのは、
資格のない負い目や人の良さから
止むに止まれず、湧いてきてしまった行動・衝動だったから
なんだろうと思う。


それを象徴するのが、
劇中、香川照之がわざと椅子から転げ落ちて
手を差し伸べる刑事に、
「なんで今、手を貸したんですか? まさか愛じゃないですよね?」
なんてことを言う場面。


誰かの呼び声に、人はとっさに行動に移してしまうのだ。
それは優しさなのか?
そこに資格は必要なのか??


これこそ、まさに伊野の置かれた状況を見事に説明していて、
こんなシビアな言葉を吐かせるなんて…
監督、本当に恐るべしです。


正義とか愛とか、そんな言葉が出てくるほど
嘘くさく感じてしまうから。。



それにしても、ラストは良かった。
救いがあった。
その前の絵が都会に浮かぶ孤独老人だったから
ますますラストが際立った。
善悪を超えて、なんだかすごくほっとした。


ペテンにならなきゃならないな、と思った。
誰かを幸せにできるペテンに。


そのために、ひつようなのは
資格じゃなくて、
笑顔なのかもしれないのだ。



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