日本再発見

ここ最近、日本の歴史についての本を読んでます。


松岡正剛福田和也池上彰など。それこそ日本創設のアマテラスから、
知ってそうで全然知らない仏教、
授業でも公然とはしょられた近現代史まで。



というのも、「日本」って不思議な国だな、という感覚がずっとあって。


そもそもあれだけ焼け野原にされたにも関わらず
経済大国にのし上がった体験のある国って
アジアどころか世界中どこにもない。


他にも、これまで韓国や中国で
国宝とされている仏教の寺を観る機会が
あったのだけど、
それが不思議と、なんていうか、魅力がないんだよね。


日本のソフスティケートされている
寺社仏閣を普通に知っていると、なんだか本場がウソものみたいに
見えてしまう。


そうした文化が東から西へ伝来していく中での
「洗練さ」は、日本が最終点に違いないわけで。



そういったどん詰まりの地政学的メリットと言うのも
もちろんあっただろうし、
ひらがな、カタカナ、漢字を使いこなして
それに英語を交えて、和製英語を作り出したり、
そもそも漢字にも音と訓なんて2パターンあるし、
どんなふくざつな言語体系なんだって、
考えただけで知らず知らずにすごいポテンシャルなわけだ。



でも、こんな小さな島国に?
どうしてこんなポテンシャルが備わっているんだろう、と思う。


残念ながら、今、現代日本を生きていても
日本人のすごさをなかなか体感しづらい。
むしろ、政治や外交なんか見ていると、
ホントダメな国なんじゃないかとさえ思えてしまう。


それは、やっぱり
日本的なものが継承されていないから
なんじゃないだろうか。
明治維新と戦後復興によって
あまりにこれまでの「日本」を切り捨てすぎてしまったから。


でも、普段使っている言葉や仕草や伝統に
ちゃんとそういうものは息づいているし、
意識していないだけで、身体に身につけてしまっているのだ。


それをもう少し、意識に上らせておいた方が
この先、いいんじゃないかなと、ふと思ったのです。


いや、別に研究するわけじゃないんだけど。


でも、面白いね。
日本の、この矛盾や相反するものや多様なものを
一緒くたにしてしまえる思想。


たとえば、「けっこうです」とか
「いいです」に
両方の意味があって、空気読んで理解する、
それをたいてい間違わないという感覚を、
やっぱ共有しちゃってるのが日本人なんやな。