『悼む人』(天童荒太)

映画「おくりびと」を観てから、「死」についてななんとなく気になっている。
葬式という儀式についてもそうだけれど、現代の死の扱いについても
ひっかかったりしていて。


というのも現代ほど「死」が曖昧な時代もないんじゃないだろうか。
イスラエル空爆があって、死者の数が時間とともに増えていっても
それは単なる「数」でしかなくて、そこに感情は全く伴わない。
人の死さえも、情報として消費されてしまう時代。
あまりの情報過多に感覚が麻痺してしまう危機感を覚えてしまうけれど、だからといって「死」と「生」を痛感するためにその都度、藤原信也の本を抱えてインドに行くわけにもいかないわけで。


天童荒太の『悼む人』は、様式化してしまった死への疑問に
真っ向から挑んだ作品だ。

主人公・静人は死者の報を聴いては、全国を歩いて、その場へ向かう。
そして遺族から
「その人は誰を愛していたか、誰に愛されていたか、何をして感謝されたのか」
を聞き、死者を覚えていることを約束する。その行為は死者を「悼む」ことであり、彼は「悼む人」と呼ばれる。
まるで宗教のようなこの行為は、死者を忘れ去ってしまうという罪悪感を消すために考え出された彼なりの罪滅ぼしだった。
そんな「悼む人」を巡って、死を目前に控えた彼の実母や週刊誌記者、殺人者の女が死者を「悼む」という行為にそれぞれ想いを馳せて行く。


読んでいて、若干のオカルトっぽさも感じるし、「悼む人」がなぜその行為に至ったのか腑に落ちない面もあったりして、絶賛!まではいかないのだけど、現代のあまりに死者を忘れ去ってしまう世界の有り様を素直に描き出したところは共感できる。


悼む、行為はもしかすると死者への最大限の優しさなのかもしれないと読み終わった今、ふっと思った。

悼む人

悼む人