『LOFT』 (黒沢清)作られたホラーとして 

予定調和的ラストを観て、思わず笑わずにはいられなかった。


全編を通じて流れる演出の「わざとらしさ」。
それを「わざとらしい」と感じる原因は鑑賞者の中にこそある。

つまり、ホラーの典型的手法を冷静に引用することで、その冷静さがおかしみを誘発する仕組み。


例えば、ミイラが動くシーン。
教授の豊川悦司が苦悩する傍で、これまで眠ったままだったミイラが突然起き上がり、彼を襲う。
そこでの台詞が

「起きれるんだったら、最初からそうしろ!」

である。

もうお化けコメディに対する突っ込みとしか思えない。


ミイラが突然、覚醒するというお約束は、通常のホラー映画の中では冷静な突っ込みを入れることを許さない緊迫感の中で起こる。だからこそ、観衆もそこに感情移入し、怖がることができる。

だが、『LOFT』ではそうはならない。

怖くないし、笑えさえする。

なぜか?
それは監督の極めて客観に寄った視点なのだと思う。


感情を排した冷静な描写が、観る者と物語との間の距離を作り出し、
その結果、ホラーの手法をパロったようなコメディに変わる。

幽霊だって、安達祐実なのだ。

怖いはずがない。

感情移入もできない。

でも、それは全て仕組まれたことだ。

ホラーの文脈をずらすこと。

そんな仕上がりになっている、不思議な映画だった。