アキレスと亀

観てきました、『アキレスと亀』。

北野武の芸術三部作とでも呼べそうな『TAKESHI'S』『監督・ばんざい』と今作。
分かりやすさに欠けた前二作と比べても、テーマが明快で筋もシンプルだっただけに、テーマをじっくり考えさせるという点でも親しみやすい映画だったように思った。

とはいえ、「分かりやすい」というのともちょっと違って、芸術を追うことの滑稽さと崇高さの振り子がどちらにも触れるような作りになっていて、観ていていろいろと考えさせられるところが多い映画でもあった。


ストーリーは、絵を描くことに取り憑かれた芸術家・マチスの半生を追ったもの。親から半強制的に芸術家になることを宿命付けられ、売れないながらも、青年〜壮年に至るまでで愚直に絵を描くことを止めようとしない。

こう書くと、あたかも才能の塊という感じがしなくもないが、画商の評価はイマイチで一向に売れる気配もない。むしろ世間からは奇特者扱いを受けている。


テーマは夫婦愛じゃなくて、芸術への目線


ラストに入る字幕「アキレスは亀に追いついた」
をどう解釈するかは人それぞれになるのかもしれない。


芸術に没頭したマチスが妻の変わらぬ愛に心をほだされ、本当に大切なものに気付いた。芸術を捨てて、人間になった。

というのも1つの見方かもしれないが、個人的にはそれはあまり腑に落ちない。

なぜなら、ラスト、空き缶を捨てて、二人で歩んだその先に、芸術をしない二人が想像しがたかったからだ。
あそこでマチスを迎えに来れる妻も、やっぱり狂気を抱えてるんじゃないの?って思ってしまう。


北野武は、芸術とは滑稽なものでやってる本人は真面目ヅラしてアートしてても周りから見たらそれは笑いでしかないないだ!っていう冷静な「突っ込み」を入れる一方で、外から評価されるされないとは別の軸で芸術家なんてみんな狂っているし、その狂気も愛すべきもんじゃないかという、温かい視点も持ち合わせているように感じる。

「ヒラメ」や「港の風景画」などマチスがかつて書いた作品が、何気なく市場に出回っている場面はそれを顕著に表しているのではないだろうか。


アートにおけるこの「世間とのズレ具合」を、ユーモアとちょっとした狂気を交えながらバランスよく観客に提示した作品。
アキレスと亀』はそこに主眼があるような気がする。


現代アートが高値でやり取りされ、バブルだなんてもてはやされている時代に、ユーモラスな視点を持ち込んだと言う点ですごく面白い映画だった。


ほぼ日で糸井重里と対談してます!
http://www.1101.com/kitano_takeshi/index.html


北野武監督作品「アキレスと亀」オリジナル・サウンドトラック

北野武監督作品「アキレスと亀」オリジナル・サウンドトラック