上海ツアー 上海②

日本にいると中国バッシングの記事を多く目にする。その記事がぼくらの中国へのイメージを作り上げていることについて、受け手である自分たちは無自覚だ。中国を語るとき、いろいろな意味の「中国」がある。それは国民だったり共産党だったり経済だったり。個々人の興味の対象によって語られる中国は姿を変える。
なのに、どうしても中国という漠然としたイメージの中でそれは、一様に悪いイメージで染め上げられているように改めて感じた。最近のニュースのせいかもしれない。もちろん自分も例外ではなかった。たしかに餃子やチベットなど憂慮すべき問題は多いし、一党独裁の政府の闇の部分、オリンピックの影の部分も無視することは出来ない。だがそうだとしても、もっと中国国民性、みたいないものを問題の根底として読み取ってもいいんじゃないかと思った。

反日の運動が起こったとき、日本のメディアはその映像ばかりを取り上げた。それはフェアなことではない。日本国内で「中国NEWS」を制作しているスタッフの方の言葉だ。たしかに中国批判はウケがいいのかもしれない。それは右翼の心をくすぐるのかもしれないし、中国での経済発展を問題を指摘することで溜飲を下げる想いが込められているのかもしれない。でも、よくよく考えてみれば、反日運動をしている中国人は日本に来たことなどないだろうし、それは生活苦へのフラストレーションをぶつけるテーゼでしかない(フランス排斥しかり)という側面も指摘されている。それをイコール日本と中国の関係の象徴であるかのように報道するのはとてももったいないことだ。
彼らの国民性や(前出の「中国NEWS」の方は中国人はアメリカ人に気質が近いと言っていた)国内事情を与すれば、もっと建設的な関係になれるのではないかと思わされた。
それは中国におもねるとかNOと言えないとか踊らされているとか、そんな次元を超えた関係性を築くということだ。なんだかしがらみのない若い人の方が、そういった建設的関係に一足飛びになれてしまいそうな予感を感じてしまう。


さて、豫園。
14時28分。
歴史的なことがあった。
四川省の震災被害者への追悼の意味を込めて国中が3分間黙祷を捧げたのだ。
13億の人が同じ時間、黙祷する。なんてすごいことなんだと驚いた。でもそれが出来るのが中国。その潜在力はすごいものではないだろうか。


↑豫園の側のショッピングモール

↑豫園のシンボル、故心亭

↑故心亭、店内からの眺め


↑私庭には珍しい龍の彫刻

↑豫園商城の店並み

↑豫園の庭園内




↑南京東路の夜景


↑浦東の夜景