『はたらきたい』『思い出したら、思い出になった』 ほぼ日ブックス

ご存知、糸井重里のほぼ日にて連載されていた就職論をまとめたものと、糸井氏の毎日の日記から選りすぐられた言葉を集めた詩集の二冊。
ほぼ日刊イトイ新聞 - はたらきたい。

個人的にも連載時には注目して読んでいた就職論だったので、本にまとまるということでネットにて即注文。こうして手元に届いたわけです。

本の内容もさることながら、本自体にもいろんな仕掛けがほどこされていてその売り方も含め、うまいなぁと感心することしきり。その根本はやはり、ネットとリアルのよいところを掛け合わせて効率的に使っているということだろう。もちろんその全ては意識的で計算されているのだから驚きだ。まぁつまり偶然のヒットとかではなく、売れるべくして売れるという仕掛け作り。


まずは装丁。
すごく手触りがある。そしてメッセージ性がある。
石川直樹の写真を使って、カバーの裏にまで写真&コメントが。
最初と最後にはこの本の根本を代弁するかのような吉本隆明らのコメントが差し込まれており、きれいなポストカードも入っている。本文中も下段スペースにはこれまでのほぼ日の膨大なアーカイブの中から選りすぐられたコメントが入る。それらを読んでいると、本に書かれていることだけを表面的になぞって終わりなのではなく、就職・はたらくことについてこんなメッセージがあるんだ、それについて考えてほしいんだということが断片的に伝わって来るのだ。
ある意味、宗教的かもしれないけど、それがなんだかそばに置いておきたい本、困った時に参照したい本としての価値を高めているような気がする。

今の時代、情報はネットですぐ手に入る。
でも「手触り」は本にしかない。そばに置いておきたいプレミアム感が得られるのは本という形に歩がある。
もちろん本を買う理由はそれだけではないけれど、ほぼ日側は、その「手触り」が持つ力や読者の欲の部分を信じていて、こだわりのある装丁で届ける。逆に言うと、そういう手元に置いておきたいと思える本でないと、今後は本という形態を成す必要がなくなってしまうような気もする。どれだけ読者の生理的な部分、あぁ欲しい、っていう部分を刺激出来るのか。


もちろんほぼ日はネットを使って、読者をあおることも忘れない。
「チャレンジ祭り」などがそれに当たると思う。

自分たちのその時期の仕事ぶりを「チャレンジ祭」と銘打って、あおる。読者も巻き込んで、祭りにする。
何か、買う理由、というか購入を後押しする仕掛けが満載なのだ。

そういえば、電気屋さんやブランドショップで店員さんと一緒になって散々迷ったあげくにようやく買えた後のあの満足感はなんだろう。店員さんとも達成感を共有したりして、ちょっと仲良くなったりして。

ただ必要だから買う。

本ってそういうものじゃないと思う。(そういう本もたくさんあるけどね。)

買うことにともなう充足感が、まずは必要になってくるんじゃないだろうか。

もちろん中身は重要。
でも、そこに至るプロセスがあるからこそ、形のあるものを買ってしまう。


音楽配信なんかもCDの売り上げの1/4にまで伸びてきて、データで充分、という時代に入りつつある。

だからこそその手触り感を大切に考えていかないと、縮小していくばかりの市場に成り下がってしまうのかもしれない。

はたらきたい。

はたらきたい。