わたしたち消費


カーニヴァル化する社会』でおなじみの社会学者、鈴木謙介の著作。自身のカーニヴァル理論を援用して独自のマーケティグ論に昇華させている。電通消費者研究センターとの共著。
まず目がいくのは、この消費者研究センターなる存在だろう。常に若者の側について発言してきた鈴木謙介が、広告屋に魂を売ったのか!という穿った見方も出来るのだけど、ことはそう単純でもないようだ。

そもそもこの著作を市場分析の資料としてどの程度読めるのかということであるが、やはり市場動向を探るマーケティングの材料としては弱いんじゃないかと思う。主観的な意見や事象の取り上げ方、データの少なさなどなどから。でもそれはこの本がつまらないということに直結しない。むしろ、マーケティングに寄り切れていない立ち位置が、内容を面白くさせている気がしてならない。



この著では、まず「姿の見えないヒット商品」が指摘される。DS、脳トレケータイ小説などなど、最近の大ヒット商品は身近に商品の影が感じられない。つまりどこかで流行っているヒットが大部分になった。ヒットの実感のない人は、商品を購入した人が共有している「物語」を共有していないのだ。

それは現代日本において「大衆」が消え、「分衆」が現れてきたことを意味する。
このことを論の中で、「みんな」の時代が終わり、「わたしたち」の時代に入ったと。

ここで『カーニヴァル社会』の理論が持ち出されてくるわけだが、それが「ネタ的コミュニケーション」ということと繋がってくる。消費の動機が、「製品そのものだけではなく、参加や他者との体験の共有」ということにシフトしている時代なのだ。

以下、最近の消費者動向の参考になるような部分を引用。

・4割の人が「心の価値を共有出来る仲間がほしい」と言う気持ちや「人と繋がって心情や気持ちを交換・交流させたいと思う気持ち」が強まっていると答えています。
・自分と嗜好性の合う友達との盛り上がりが最も重要で(〜)一方で「世の中の動きに遅れたくない、外れたくない、失敗したくない」という気持ちも強い。
・層品を選ぶ時はランキング情報も参考にすることが多い。

そして最終章では、私たち消費を拡大するためにいかにマネンジメントするかという企業の立場での意見が述べられている。
たしかラジオでは、「ここはいらなかったんじゃない?」と突っ込みを受けていたところだ。
たしかに市場によりすぎているような気もする。

読後には、著者の、社会批評をどうしても現実世界と結びつけ、有用なものとして扱いたかったという崇高な理念を感じてしまった次第である。

わたしたち消費―カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書)

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