「EARTH」

「earth」を観た。目の前で繰り広げられる奇跡的な映像にうっとりしながら、いろいろと考えさせられる映画だった。
 これはたしかに奇跡の映像、究極のドキュメンタリーなのかもしれない。渡り鳥のエベレスト越えに目を見張り、豹がカモシカを狩る瞬間に息をのむ。氷のない北極の現状を知り、ホッキョクグマの死を目前にする。まさに奇跡としか呼びようのない90分間の映像がそこには流れている。だけど、見終わった後に残るのは、映像に対する衝撃だけではない。


 最後のシーン。
 温暖化の影響で氷の足場を奪われたホッキョクグマが餓死し、そこに流れるナレーションは「このクマを救えるかどうかはあなたに委ねられている。出来ることからはじめてみよう」と訴える。だが、そのメッセージに僕はなんだか居心地の悪さを感じてしまった。なぜなら、あまりにすさまじい地球の奇跡を見せつけられ、人間のちっぽけさを突きつけられたような後に、そんなことを言われても何かが出来るとは思えなかったからだ。人間が地球に出来ることなんてたいしてないんじゃないか。そもそも人間が地球を救うという発想自体がおこがましいんじゃないか。そう思わされた。


 映像の中で幾度も出てくる食物連鎖、つまり肉食獣が草食獣を狩るシーンは、生きることについての切実さを物語っていた。狩りが成功しても失敗してもどちらかが生命を絶つことになる。そのぎりぎりの中で生きていながら、お互いの種を長い間絶やすことはなく、バランスをとって未来へと連綿と血を繋いでいく。それが人間以外の動物の生き方。

 それに比べて、人間の欲望は際限がない。知能が高すぎるばかりに、人間は人間を騙す。環境にいいと偽装していたコピー用紙の話を持ち出すまでもなく、人間は人間によって滅びの道を歩まされているのだ。地球温暖化が人間の活動によるものであるならば、人間を危機におとしめているのは人間だ。それでいてきれいな地球を持ち出して、この美しさを守ろうというのは何か違うんじゃないか。全ての生物(地球の誕生も含め)がここに生存しているのは、偶然でしかない。ホッキョクグマが餌を穫れずに死ぬことなど、誰が関与することでもないし、いつでも起こりえることなのだ。生物は、その強靭な本能によて環境の変化に対応してきた。結局、地球に理想の姿などない。あるのは、人間にとって、住みやすい環境、ということだけだ。


 何かに責任転嫁したり、自分だけは大丈夫と思ったり、そんなの関係ねぇと思ったり。
 それでも地球は回るし、生物は生きようとするし、地球の歴史は続いていく。どんなに気温があがろうとも。それこそが生命の神秘だ。

 そこで何を思うか。
 
 我々の手に委ねられているのは、むしろ温暖化の状況においてもなお生きようとするかどうか、その意志ではないだろうか。