「ゲーム的リアリズムの誕生」(東浩紀)


おたく文化をポストモダニズムの思考によって、鮮やかに再解釈し直す名論文。

潔さを感じるのは、読者対象が、ライトノベルやギャルゲーなんて
触ったこともない純文学読者である、ということを想定し尽くしている
というところであろう。


そのため、文中にこういったお固い読者を意識した補足説明が
かなりの頻度で登場する。
だからだろうか、ゲームやライトノベルを作品として語るのではなく、現象として語る、ということに
かなり主眼を置いた論旨になっているようだ。


そのため、非常に読まされた。
大きな物語を共有する幻想が崩れたポストモダンの説明に始まり、
ライトノベルの特性、(データベースの共有がポストモダン的である
という指摘。)キャラクター小説の登場による、文学を巡る環境の二層化。
自然主義的リアリズムとキャラクター小説的リアリズム)


そのうえで、漫画・アニメは記号的でありながら、リアリズムを指向することで
半透明性をもちえていること。

ゲーム的リアリズムには、ポストモダンの拡散した物語消費が見て取れる。
つまり、メタ物語であるということ。


などなど、様々なサブカル作品に言及し、ポストモダンの論理を援用し、
見事な手さばきで、おたく文化の現象を価値づけている。



先ほどもいったように、この純文学というジャンルの読者が
サブカル作品を毛嫌いしていることを考え合わせると、
彼がこの二つの層を行き来できる貴重な論客であることが
見えてくる。



いずれにしても、大変興味深い。



作品物語に優越などないことを、改めて教えられた。