世知辛い世の中
これほど日本が生きにくい世の中になってしまったのは、いつからだろう。
人に対して厳しく当たる事や、一方的に批判する事、相手の事を全く考えない社会性のなさ。
街を歩いていても、テレビを見ていても、すごく世知辛い世の中になったなぁとつくづく思う。昔もこんなんだったろうか。記憶にない。でもなんとなく、その辺を歩いている人の目つきが変わって、どんよりして、若者は傍若無人で・・・ってどうも最近のことのように思えてならない。
僕はワイドショーが嫌いだ。
基本的に観ないようにしている。積極的に自分から遠ざけている。
なぜか。
それは番組が人を批判する事で成り立っているからだ。
怒りを、代弁する。
コメンテーターがもっともらしいことを言う。
道徳や正義に基づいて。
あれ?どっかの国家みたいだ。
最近で言えば、エリカさま。
どうでもいいと思うんだ。僕的には。たしかに彼女はイメージ戦略を誤った。でも、それは20そこそこの娘のちょっと度の過ぎる分別のない態度であって、彼女自身がイメージ低下の憂き目を見る、ただそれだけのことであって。
作られた清純派のイメージにだまされたとか、売れてるからって何事だ!って目くじらたてることなの?
そもそもテレビは全てイメージ。全てが作りもの。その前提に立っていれば、清純派も不良もどっちもイメージであって、正しくもあり、正しくない。
大の大人が、しめるとか説教するとか。もっと寛大な目を持っていいんじゃないか?
ちょっと目立って過ぎる人がいると、いっせいに叩く!
ネット時代の副産物?人を批判する事が正義だと思っている人たちがいる。
自分たちで調べてきた事でもない情報を盾に、もっともらしいことを言って、人をこき下ろして、自分は安全圏から出ない。
この違和感はなんだろう。
そんな違和感に少しだけ応えてくれる、文章があった。
山田ズーニーさんらしい、すごくまっとうな優しいまなざし。
甘い?
でも優しさって、人間が持てる大きな武器だと思うのだ。
そして、表現の自由度こそ社会のキャパシティと度量を計る指標になると思うのだ。
カメラを持った男を撃つ国にならないために。
不朽の自由と名乗りながら、平気で人を殺せる国にならないために。
最後の一文が心に染みる。