エコの今後について想いを馳せる


ここで話すことなのかどうか、ということはさておき、今自分の中のプロジェクトとして、予告図書(スクールで作った冊子だ)の完成版を作り上げたいという野望がある。
スクールの冊子は、パイロット版、つまり0号だったという位置づけにあるわけだ。


テーマは相変わらず、エコにしたい。


もっと踏み込むと、普通の人のためのエコ。
ソトコトやエココロは環境に興味のあるエココンシャスな人が読む雑誌であって、いくらあそこに有益な情報が書かれていたところで、それは一般の人には届かない。もちろん雑誌の方針として世間に影響を与えられるであろう先鋭的な読者に向けて作られているということは承知しているのであるが、やっぱり僕の立ち位置として、たいしてエコに興味がない、あるいは興味はあるけどNPOなどの活動に参加するまでには至っていない、という人たちへ向けての何かしらな変化を与える情報誌でなければならない、と思っている。
最小単位という一個人の活動で何かしらの「意味」「価値」を生み出すことが出来るとすれば、それは大雑誌が出来ないようなことをやるしかないのだ。


とはいえ、引っかかっていることもいくらかある。


そもそも「エコ」という言葉を出来る限り避けたい、という葛藤だ。


今この時世に「エコ」という言葉を発することは、一つのイメージを簡単に想起させる。とても使い勝手が良く、安易な言葉なのだ。しかし、もはや使い古されて、ネガティブ、とはいわないまでも、どうも手垢が付きすぎている感が否めない。


昨年12月当初の「eco voice」というのは再考が必要である。もうかなりの確率で。

ダサい上に、伝わりきらない。



コンテンツはいくつか挙がっている。
どこまで成功出来るかは全く見えないが、「行動に移せる・移せない」の境界にあるものを一足飛びに超えられるイメージをつかめるような仕上がりになる予定。


あとは勢いと自分へのプレッシャーでしょう。



少なくとも来月には見えるようにしておきたい。


ここに書くこと。これも自分を追い込むための一つの手段なのです。