こいばな。
年甲斐もなく、恥ずかしいタイトルで恐縮です。
中二病なもので。。
社会人になると学生時代ほど感情の起伏を内外に表したりすることもなく、そもそも感情の変化も徐々に乏しくなって、どうにも「社会的倫理」やら「道徳」「正義」とか一見ただしそうなことに流されがちです。
だから、何か外から、意見を求められると、そんなありふれた「ただしそうなこと」を選択して、言葉にしがち。
でも、恋愛がらみになると、大人であってもいわゆる正しいかどうかという外部の判断軸ではなく、その人の「本性」で行動するようになる。
いや、もっと感情をコントロールして、計算で行動できる人もいるのかもしれないけど、結局、それさえもどこまでが計算で、どこまでが本意なのか、その線引きだって怪しくなって来ると思う。
そこに人間の本質が見え隠れ、するんだろうね。
だから古今東西いつの時代も、恋は、小説のテーマ足り得るのです。
普段、社会の中でひた隠しにしているエゴがむき出しになるから。
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その中で、人へ「執着」するということはどういうことなんだろう、と
個人的に思うわけです。
欲しいものだから欲しいのか、手に入らないからこそ欲しくなるのか。
井上陽水の「欲望」みたいなもんですな。
そのことにちょっとしたヒント。
名インタビューアーでライターの芳麗氏のブログ。
去る者は追わずとも想う。 | 芳麗の恋メモ 芳麗オフィシャルブログ Powered by Ameba
「去る者は追わずとも、想う」
だそうです。
別れって、人生のいろんなシーンで起こるから。
きっと心の片隅に止めておいて、損はない言葉だと想う。
自分は、執着心のつよい方だと思うけど、
それを乗り越えるくらいにだれかのことを大切に想えれば
それって悪くないんじゃないかな。
今ではなく、はるか遠い未来でもなく、
きたるべき「いつか」のために。
と、思えれば、前に進んでいけると思うのです。