【シルバーウィーク読書三昧】あるキング(伊坂幸太郎)

伊坂幸太郎はかなり好きな作家の一人だ。
文体のリズム、ストーリーテイリング、人物設定にセリフ回し。
どっぷり浸かって読むことの出来る数少ない現代作家。


そんな彼の新作『あるキング』はこれまでとは一線を画す新境地。
天才的才能を持って生まれた野球選手の人生を描いた小説だ。


主人公・山田王求は、熱狂的仙ダイキングスのファンである両親の元、その常軌を逸するほどの期待を背負いつつ、「投手が投げる瞬間に球筋が分かる」という希有な才能によって、小学生にしてプロの球を打つほどに才能を開花させていく。
そしてプロ野球界に入ると、数々の記録を打ち立て、プロの秩序を壊すほどの活躍を見せることに。だが、活躍への嫉妬、親が起こした罪への非難の目、あまりにすごすぎる活躍からくる実存的疑問。。天才野球選手の生涯が、ジュリアスシーザーと重ね合わせられるかのように、「王」の生き様、苦悩としてファンタジックに描かれる。


ここで思い出されるのは、イチローのことだ。


たとえば、選手の激動の人生を描くにしても、「ルーキーズ」のように青春とからめて感情豊かにひっぱるというやり方もあったかもしれない。だが、この作品はそうはならない。王求は単純にホームランを量産し、ストイックなまでに練習に励む。人生への疑問はあるが、それがプレーに差し支えたりはしない。「感情」は「プレー」に全く影響を与えない。


とかくファンやメディアは、選手にストーリーを求めたがる。
イチローもそれに応えて、苦しい心境を過去に限って披露したりする。
だが、観客は選手の苦悩なんてモノにどこまで近づけるのだろう。
選手の「苦悩」や「生き様」は周りが無理にねつ造するもので、消費しているに過ぎないんじゃないか。そんな気もして来る。
それは、庶民が「王」の人生や苦悩をうかがいしることができないようなものだ。


王求にとってホームランとは、嬉しいものではない。
ホームランとは生まれたときから手に握りしめているパズルのピースをピタっとはめ合わせること。そしてその瞬間感じる安堵。「間に合った」「役割を果たした」という感情。


ヒーローインタビューで聴かれる質問に、「間に合ってよかった」と応える打者がいるだろうか。


でも、それはもしかすると、言葉にならないだけで天才が抱えている感情なのかもしれない。


あたかも、「やることがなくなった王様」のような。


「ヒットを打って、嬉しい」とかそんな感情とは別のところにある、言葉にならない感情を、主人公以外の複数の視点で描き出す希有な作品だ。



……そして、もう一つ、気になったこと。
文体が古川日出男に近づいた! ということ。
神の視点、二人称での語り。客観的でも主観的でもない視点。
運命的なストーリーを語る場合、この手法が効果的だと判断したのかもしれない。


だけど、そこは伊坂氏で、神の視点にもちゃんとオチをつけている。
放りっぱなしの古川文体とは違うところ。
(どっちがいい、ということではないです。)


とにかく、これまでにない面白い作品・作風なのでぜひ!

あるキング

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