【シルバーウィーク読書三昧】「アフロディズニー」

シルバーウィークはGW以上の渋滞らしい。
行楽シーズンですからね。そりゃ、出掛けるわな。。
あれ? 旅行のアテがない?
そんなあなたにSW、オススメ本紹介。5日間やります!!!


アフロ・ディズニー 菊地成孔大谷能生


東大にて行われた「アルバート・アイラー」に続き、今回は慶応大学にて行われた「視聴覚分断講義」と銘打たれた講義録。
著者二人も明言しているように、講義はあまりに「分断的」「散逸的」で「トピックをぶちまいた」「アクションペインティング」であるので、ここにはこんなことが書かれたおりました…と紹介することさえ困難を伴うのですが、テーマを一言で言うと「観ながら聴くことはどのくらい可能か」——視覚と聴覚の分断を通して20世紀を俯瞰する、ということでしょうか。


ざっくりと中身をまとめてみる…
20世紀の「サイレント映画」「レコード音楽」は、それまでのオペラ、演劇、舞踏会といったステージ芸術を「視覚」と「聴覚」に分断した。しかし、さらにその後、ハリウッドがその分断されていた音楽と映像を見事にシンクロさせる。つまり映画にばっちりの音楽をあてがう技術(「旋律的な」「視覚と聴覚のマリアージュ」)を発明する。
だがそのシンクロは、現代の我々に、視聴覚がかつて分断されていたことを「隠滅」させるのではないかという見立てを仮説として論は進められていく。


その流れから派生されるのが、20世紀に独特の「幼児性」は映画とレコードの発達過程に原因があるのではないかということ。つまり、オペラなどのステージ芸術が大人っぽさを担保し、通過儀礼として機能していたものが分断され、「再生」というシステムを得て、「ホームシアター」によって自室で再現可能になったことが「幼児性」を促進したということ。
著者は、20世紀の文化の進化を「子供部屋的」「乳幼児的」な受容によって育まれる「子供文化の成熟」と指摘する。
 


…と、これが講義に通底するメインの仮説部分なのだが、自分で書いていても、うーむ、咀嚼できてないなぁって感じで。まぁそこにさらに細部に言及する各講義があるわけである。

例えば、19世紀的社交の要素を今なお残している「ファッション・ショー」と「ブラック・ミュージック」のカルチャー。そして20世紀の文化において幼児性を最も伸ばした存在としての「オタク」。その「オタク」文化に接触を試みている前述のファッション文化(例えば村上隆とルイヴィトン)と黒人文化の関係性。


とにかく、一言では言いきれない「拡散」性は本書のテーマでもあって。


二人も最後の対談でいっているだが、
「××の本だって言えない本にする」「ひとことでいっちゃうと20世紀の本だとしか言えない本にする」「20世紀がちょっと面白そうに見えてくるホントも言える」というのが立ち位置にある。
つまり、現在の文化的「幼児性」を憂いていて、そこについて考察を深めていったら20世紀を俯瞰する内容になったということらしい。


本人たちが「パフォーミングアーツ」と言っているように、知識として得るというよりも、どっぷりと浸かって、あるいはそこで鳴らされる音楽を聴いて、散逸する議論に目眩を感じる体験を得るための本なのかもしれない。


ジャズ、ブラック・ミュージック、ファッション、映画、オタク…ここまで横断的に20世紀文化を語れる人たちもいないだろう。そういう意味で、他のどんな本にもない文化の相互の関連性と連動性が感じ取れる。
今の時代、一つのジャンルを論じきることよりも、絡み合ういくつもの事象を同時にとらえられる「同時代的視点」の方がよっぽど貴重なのかもしれないし、そんな能力を持つ異才が繰り広げる極端なる実践録ともいえるかもしれない。


続編は、各ジャンルのプロを招いての鼎談になるらしく、こちらも楽しみ。