思い出探索

友人の日記に刺激を受けて(今更!)mixiにて小中高のコミュニティ検索を
してしまいました。


まさに恐いもの見たさ。。



実は、10代の頃の記憶ってなんだかあまりよいものがなくて。
別に何かいやなことばかりだったわけでもなく、
それなりに楽しんだ青春だったように思うんですが。


でも、なんだろうか
今回こうして過去を思い出してみても、なんだか
ちょっとした気持ち悪さみたいなざらっとした
感情も一緒に思い出してしまって。


…そのうちにふと気付いたんだけど。


あーこれは10代の頃感じていた不自由さだったなぁと。



こんなことを言うと病んだ少年かと思われそうだけど
実は教室・クラス、という空間がホントに嫌で。。


閉じられた社会で同じ時間を何年も共有するという怖さ。


とにかく自分に貼られたレッテルの中でしか生きていけない
不自由さ。


特に子供は敏感で、しかも残酷で。


自分が何者か分からない時期に
それを外部からあてがわれて、
集団・組織の中で、個人の意志とは無関係に
上下や派閥やレッテルが形成される力が働く。


とはいえ、クラスというものが
単純にその時期だけあったディストピアかというと
そんなことはなく、今行きている社会と地続きの
リアルな社会の縮図そのものだった、ということは
一つの救い(社会への助走という意味で)であったりするんだけれども。


その当時感じていた疑問が、
個々人で関わるときと集団で関わる時に
なんでこれほど人は態度を豹変させるのかってことで。


そういう対自分、対他人の距離の取り方が
全くできていなかったので、
先の見えない大海原に投げ出されているような感覚だった。



でも、ですね。それと同時に感じたこともありまして。


それは、
それぞれの人にそれぞれの人生がある、という
当たり前のことなんです。


1Q84』で主人公の男女が15年以上も恋心を偲ばせている
くだりがあって、それを奇異の目で見てしまっていた自分を
少し恥じた。


いくら昔のことでも変わらずに抱えておけるということは
あるのかもしれない。


むしろ、時の重さが積み重なれば積み重なるほど、
想いの強さはますますその強度を増すんだろうな。


そのことを知るには、こうして生きて
ここまでたどりつくしかなかったということだ。