『動的平衡』@福岡伸一

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

生物と無生物のあいだ』の著者、福岡伸一の初の単行本で、ソトコトでの連載に加筆・編集を加えたサイエンス・エッセイ集。

ベストセラーにもなった『生物と〜』は、分子生物学に門外漢の自分でも面白く読むことが出来たので(内容を理解で来たかは別問題だけど)ぜひ他の本も読んでみたいと思っていた。その面白さの理由は何かと問われれば、文体が文学的で物語的に生物学を語れるからなのだと思う。


例えば、タイトルの核心に迫るここの記述…

なぜ(人はタンパク質の)合成と分解を同時に行っているのか。この問いはある意味で愚問である。なぜなら、合成と分解の動的な平衡状態が「生きている」ということであり、生命とはそのバランスの上に成り立つ「効果」であるからだ。

タイトル、「動的平衡」に言及したこの部分を読んでいても、哲学的文章にロマンスすら感じる。なぜ人が食べ続けるのか、その答えを「改築改修を繰り返しうる柔軟な建造物は永続的な都市を作る」などと言い換える。「食べ物とはエネルギー源ではなく、むしろ情報源なの」だと。


彼の視点を借りると、最近の気になる生物学的ニュースも違った見方が出来る。扱うテーマは「ES細胞」「ダイエット」「BSE」「鳥インフルエンザ」「遺伝子組み換え」「食の安全」などなど。
読み進めるほどに、ぼくらが日常的にどれほど生物の神秘と接し、それを曲解しているかに改めて呆然となる。


後半、人間を機会のパーツのようにとらえたカルティジアン(デカルト唯物論信奉者)を向こうに回し、彼は生命とは「可変的でありながらサスティナブルなシステムである」ことを強く訴える。いまだ遺伝子組み換えは農産物の増産には結びつかず、臓器移植は延命治療とならず、ES細胞は未知である。結局、それらはみな生命を機会的メカニズムの構造としてしかとらえていないからだ。人間は、パーツを組み替えれば全てうまくいく機械ではない。そんな想いが強く語られる。
生命とは、分子が集まって構成された静的個体ではなく、それらが流れることによってもたらされる「効果」なのだ。。



医療の発達やアンチエイジングのかけ声に踊らされて、自らの身体をテレビやパソコンと同じような個体としてしかとらえていなかった自分にはっとさせられる。
情報の海の中で、あまりに機会論的発想に支配されすぎているのかもしれない。
これは、足りなくなったビタミンを栄養剤で補っている場合じゃないな。


今生きている自分は、想像もつかないくらいに精密で再現不可能でサスティナブルな流れの中の一瞬なのだ。


そして、社会は全て、効率化されて、直線的に進んで行くわけじゃない。そんな当然なことに気付かされる。
見た目の健康や効率性にばかり目がいってしまう今の時代。多くの人に読まれている理由が分かる気がした。