村上春樹、エルサレム賞受賞とその講演

村上春樹エルサレム賞を受賞し、その授賞式に出席するかいなかということが
注目を浴びていた。
戦争を仕掛ける国から賞を受けることで、戦争という行為を是認することになるのではないか。積極的にボイコットするべきではないか、という議論だ。


だけど彼は(もちろん)授賞式に臨んだ。
ここでスピーチの全文を読むことが出来る。
http://www.47news.jp/47topics/e/93879.php


僕も、ボイコットという小さな抵抗を試みるよりは、
注目を浴びる中で言葉を発信することこそ意味のある行為だと思っていたので、彼のとった行為には賛同できるし、その言葉は他の文学賞とはまた違った意味合いを帯びて来るだろう。


スピーチの中で村上春樹
「壁とそれにぶつかって壊れる卵」
という比喩を持ち出した。そして「僕は常に卵の側に立つ」と明言した。


「卵」とは壊れやすい殻を持ったかけがえのない心を持った個人であり、
「壁」とは自己増殖する「システム」である、と。


スピーチを読むと、彼が小説を通して描きたいことのいくつかが言語化されている。
社会には得体も知れない理不尽な力が存在し、
個人は冷酷に殺されることがあるということ。
その社会構造の中で、小説は「システム」に対して警鐘を鳴らし、
個人の精神の偉大さを照らし出すのだ、と。

さらに、小説を書く目的をこう話している。


私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

僕は、この言葉にぐっときた。
それは、なぜ僕らが文学やら本やら文化やら、その他生活に必要ないと言われるものを追い求め、これほど人生の時間を費やしているのかにもつながるからだ。


生きていくため、役に立つためならばもっと有益な学問や仕事はいくらでもある。
でも生きることは、生きながらえることではない。


個人として、笑って、泣いて、感動すること。
豊かだと感じること。
日々の暮らしの中で、生きていることを確認できること。


どうして、フィクションを書く必要があるのか。
それを読む必要があるか。
彼が小説に抱いている想いの一端に触れることができた気がする。



人が生きるために必要なのは、「正義」ではない。
なにかもっと別の個々人の精神の中にある炎のような
目に見えないものなんじゃないか。
それを思い起こさせてくれる素晴らしいスピーチだったと思う。


夏に出る新刊にも期待したい。