鹿児島の田舎

家族の用事があり、生まれ故郷の鹿児島まで帰省していた。生まれ故郷と言っても、本当に生まれただけですぐに茨城に戻ってきてしまったので記憶も朧げ。改めてこうしていい大人になって鹿児島の魅力を再発見する次第である。


田舎は繁華街から車で20分ほどいった山奥にあって、今でも地域や親戚の繋がりが非常に強い。話を訊いていると、これまでの血縁関係をたどっていくとルーツは同じ人間になるんじゃないかと本当に思えてしまうほど、狭い村の中でコトが済まされていく、そんなイメージだ。


だけど田舎のその強固な繋がりは、東京で7年も暮らし、近所付き合いから遠ざかって久しい身からすると、とても新鮮なものに感じられた。
とにかく人と関わらずには生きていけない。冠婚葬祭はもちろん、自分の就職や結婚もお節介を焼かれる。斡旋される。食料を提供し合ったり、ノックもなしに人の家に上がり込んだり。
モノや情報が限定されている田舎に置いて、それらは自分の身を守り、生活を豊かにしていくために、必然的な習慣なのかもしれない。


逆に都市において、自分の生活を守ろうとしたら、極力、人との無駄な接触を避けなければならない。それは無意識のレベルでそうなっていく。
満員電車で人に触れたくらいで、いちいち謝ったり、神経を尖らせていては、とてもじゃないが生きていけない。人の多さ、情報の多さゆえに、人に対して鈍感にならざるをえないように、しむけられていく。


そんな両極端な暮らしぶりを見て、これが本当に同じ国で起こっているのか?と思うくらいに(大袈裟だけど)生活がまるで違った。


なんだか短絡的な発想かもしれないけど、核家族という最小限の単位でしか生活を送れない子供が、鬱になったり、人格を壊したりすることが分かるような気がする。


都市に住んでいると、無意識で他人と心理的な距離を置こうとする。
それは人間の本能なのかもしれない。
だが、そのことに常に自覚的ではあるべきだ。
それが自分に馴染みすぎてしまってからでは、取り返しがつかなくなる。