劇的3時間SHOW <川上未映子>

二日連続で劇的3時間SHOWへ。
観客は昨日に比べて、文学ファンとおぼしき人が増えている。出演者が『父と卵』で芥川賞を獲り、時の人となった川上未映子だからだ。

僕も彼女の作品、『父と卵』『ワタクシ率〜』は読んだけれど、途中で挫折したクチだ。すごい文体表現だったがその表層部分に眼を奪われすぎて、結局何がいいたいかの実体を掴みきれずに断念した記憶がある。
でも、これだけ騒がれている作品。
どこがすごいのか、腑に落ちる言葉が見つかるかもしれないと聴きにきたわけだ。


実際に(遠目だけど)見ると、すごく素敵な人だった。

その端正さと、溢れる関西弁と、時折混じる哲学的な単語の妙なアンバランスさが素敵だった。


第一部は彼女の成功にたどりつくまでの軌跡をたどった、モノローグ。
売れない歌手時代の葛藤から突如芥川賞を受賞するまでのサクセスストーリーまで。
その中で感じる「モノが売れたり、評価されたりするのは曖昧なもの。作品の善し悪しとは別の軸があるのでは?」という冷静な観察。


第二部は、「ユリイカ」山本さんと「早稲田文学」市川さんを招いての鼎談。

ユリイカ」にいきなり電話をかけた川上氏に詩を書かせ、処女作『先端で〜』を見いだす、その感性は半端なものじゃない。
『先端〜』を評して、
「見たこともないものだった。あらゆる音が一気に鳴っているようなテンション」
言語化するあたりは、さすがは『ユリイカ』の編集長なんだなぁと恐れ入った。


後半は川上氏が現在、抱える問題
「小説家はどこまでリアルな世界にコミットし、発信していかないといけないのか」についての激論。


川上氏がラジオに出た時にコソボ紛争について発言を求められた時に「近所の小競り合いも解決が難しい」とコメントしたことが失笑を誘ったことが引き合いに出されていた。
そこから、小説家は本当に世界中の事象全てに気を配り、コメント出来る準備をしていないといけないのか、世界について発言する必要が本当にあるのか、というひっかかり。


これについては、両編集者とも「それは失笑の方がおかしい」と断じていたけれど、全くその通りだ、と思った。

その場で最終的に出された一つの結論は

「小説家は悩んだコストの分しか作品に投下出来ない。」

ということ。

だからこそ「生き様を見せてくれ」ということもいわれていた。


全く同意です。
テレビでそれみよがしな発言をすることなんて小説家に全く求めていない。
たった3分で言葉にできる薄っぺらい世界だったら誰も小説なんて読まない。
もっと本質的な何かに触れたいから、作品を読むのだ。
世界の役に立つかどうかすら分からないこと、
だけど作家というフィルターを通してしか見えないこと、それをぜひ見てみたい。


川上氏の多くの読者に読まれたいという覚悟には鬼気迫るものを感じたし、それだけの情念を作品に投下できる人なんだと考えを改めた。
また再読してみよう。