トウキョウソナタ

黒沢清の最新作でカンヌ国際映画祭「ある視点」審査員賞。


現代社会の「どん詰まり」がどんなものかを徹底的に描いた作品、というのが観終わってすぐの感想。

リストラされて転職のアテもないけど、家族の中では威厳を保っていたい体裁を気にする父親。とにかく大きなことがしたくて、しかも日本はやばいということにうすうすと気付きながらも出した答えが「米軍」入隊だった兄。家庭の面倒を全て見ることに疲れて、外の世界(オープンカー!)に憧れながらも離婚なんてめっそうもないと家事をこなす母。そして、家族の抑圧を目にしながら、ちょっとした抵抗(ピアノを習い始める)を試みる弟。


誰もが胸に「未来はない!」という気持ちを抱えながら、それを押さえながら生きている。しかし、ひょんな引き金から溢れる気持ちが押さえられなくなる。
疲れたメークもばっちりはまった母親役の小泉今日子は物語の中で、登場人物たちの気持ちを代弁するかのように重要な台詞を託される。


たがが外れたように海辺まで車で走り、「行き止まり」まで行き着く。そして、「やり直したい!」と叫ぶ。一方で強盗には「自分であることはどうしたって止められないのよ」と諭す。

彼女の一見矛盾したような発言が、最後には(強盗に)彼女を救わせ、朝を迎えさせる。

徐々に顔に日を受けるシーンこそが、この映画の一つのハイライトのように見えた。


そこには、「どんなにリセットしたい人生があっていやになって投げ出しても、それでも朝は来るし人生は続いていく」というメッセージが込められていたように見える。
次のシーンでは車に挽かれた父親にも朝日が降り注ぐ。


この映画は、単に家族のぎくしゃくした関係や崩壊を描いたものではない。なぜなら、その不協和音の元凶は家族全員が抱える「どうしようもなさ」や「どん詰まり感」だからだ。もちろん家族同士の不和に見えるけど、根源には個人が感じる「どん詰まり感」をぶつけているにすぎない。そしてそれは現代社会に蔓延したものだ。だからこそ、これは現代にこそ観るべき映画と断言出来る。


最後のシーンでは、演奏を終えた弟の前に人が集まって家族3人を見送る。
すごく現実感が薄い映像。家族は聴衆に観られながら、三人でその場を去る。拍手も無しに。ストーリー的にはハッピーエンド的な見せ方をしてるけど、この映像とエンドロールの雑音(片付けの音)を聴かされるに、どこか気持ち悪さが残る。意図された気持ち悪さを感じる。


きっとこの受験で全てが解決するわけでもないしそれは始まりに過ぎない、もっと言ってしまえば人生なんていやになってもどこまでも続いていくんだと言うことが、もしかしたらここにも暗示されているのかもというのは単なる推測だけど。。


随所にきかせたユーモアも秀逸だったし、全編を通じて飽きることがなかった。絵作りもすごくうまいんだと思う。
個人的にはかなり面白かった。

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