インタビューという行為について

先日も課外活動でアルピニストの方にインタビューに行って来たわけだが、ホントに自分の下手さを痛感せずにはいられない。つくづくインタビューって、反射神経やな、と思わされる。頭で考えるのではなくて、肉体的な行為。だから常にその筋力を養っていないといけないんだろうな。

後藤繁雄氏の『僕たちは編集しながら生きている』によるとインタビューとは「世界で一番その人に興味があり、その人を愛している人になりきる」ということらしい。とてもよくわかる。もし本当に愛している人が目の前にいたら、どんな食べ物が好きで、どんな音楽を聴いて、何時くらいに眠りにつくのか、ホントど〜でもいいことまで知りたくなる。それこそ反射的に。

ただ今の自分が陥りやすいのは、下調べをしてしまったがためにこれまで聴きつくされた質問にこじんまりまとめてしまう、ということだ。これが、結局一番面白くなかったりする。雑誌なんかでもコレどっかで読んだ発言じゃん、ってのが一番つまらないわけで。だから聴きたいこととソレに対する公の答えは全て調べて、質問も丸暗記して、消火して、そしてまっさらで臨むとのいうのがベストかと。後は、現場での反射神経に頼る。
これが理想な気がする。

そのためには。もうとにかく場数しかないのである。

何も悩んでいる暇はない。動けばいいのだ。

単純すぎて、びっくりするくらい。会いにいく理由をでっちあげて(という表現はよくないけど)会いたい人に会いにいけばいいんだね。
そういうことでしか今は道は開かれないように思う。