実験4号、という名の実験

実験4号

実験4号

『死神の精度』が面白かった伊坂幸太郎と大好きな映画である『天然コケッコ—』の監督、山下敦弘が同じシチュエーションを小説と映像で表現した、面白い試みの著作。
舞台は温暖化が進んで住むこともままならなくなった地球。人々はこぞって火星へ移住する。地球は人口が急激に減り、閑散としたムードが漂う。
ただ危機に瀕しているとはいえ、地球の温暖化もそこまで進んでいないらしく、日々の暮らしは変わらずそこにある。ただ火星へ移住した先鋭的な層と地球に残らざるを得ない保守的・退廃的な層との格差が浮かび上がるのみだ。

伊坂氏の小説では、火星に旅立ってしまったメンバーを待つロックバンドの暮らしが、例の小気味よいテンポの会話で表される。途中、重要なキーを握るのは、実在のバンド「Theピーズ」の存在である。主人公たちは過去のバンドの雑誌記事を発見し、読みふけり、興奮する。ここでは、「Theピーズ」のロッキングオンでの実在の記事を引用し、リアルと小説世界の垣根をあえて取っ払ってしまっている。
なぜこんなことをする必要があるのだろう。
もちろん筆者がロック好きで、このバンドに人一倍思い入れがある、といえばそれまでかもしれない。

だけど、未来の人々が過去の記事を見て喜ぶこのシチュエーションに、より感情移入するためには、そこに遣われるテキストも実在のものの方がよくないだろうか。僕ら読者も、作り物の過去の記事より実在する記事を読まされた方が、より未来から過去への視点に感情移入出来てしまうのではないだろうか。そんな未来の話だけど、荒唐無稽な話じゃない、ということを筆者は強調しておきたかったのじゃないだろうか。
だからこそ、実験的であり、SF的である全ての設定も関係なく、いつもの伊坂作品のように簡単に深入り出来てしまう装置が周到に用意されているんじゃないだろうか。

まぁでも、それは深読みし過ぎか。


そして山下監督の映像の方は、また別の登場人物たちを描く。火星へ引っ越しするために小学校(在校生3人)を卒業する少年を中心にした話。
こういう、何も起こらないけど、何かが伝わるストーリーを描かせたら天下一品だなぁと感心することしきり。ささいな環境の変化によって、見える景色が一変してしまうという少年時代の成長鐔は、周りが気付かないくらいに少しずつだけど確かに訪れてくるのだ。卒業する彼は、その変化の分、どこかで成長しているのだ。それは伊坂作品の方にあった「サヨナラだけが人生である」という言葉をも彷彿とさせる。

そしてラストのエンディングには、Theピーズの実験4号の曲が流れる。

全てが統合されたような満足感。

小説から先に読んでしまったが、映像から観たらまた感想は違って来るだろう。そんな違いを(一回性ですね)堪能するのもまた面白いかもしれない。こうやって同世代の表現者が共犯関係を結ぶのは、見ていて、とてもワクワクする出来事のように見える。