チェルフィッチュ 『フリータイム』

chelfitsch

演劇というものをあまり観たことがない。最後に観たのは、大学の学園祭かなにかだから、かれこれ10年ほど前?そんな自分がいきなり演劇に興味を持った、というほどのことでもなく、最近よく目にする「岡田利規」という人物の劇がどんなものか観てみたいと思い立ったからだ。

実際、初めて目の当たりにして、なんというか呆気にとられた。そもそも演じる、という種類のものではない。いや、間違いなく役者は演じているのだけど、それは独白でお互いが混じり合うことはほとんどなく、だらだらとした自分語り・自分突っ込みが延々と続く。そしてその間、手をぶらぶらしたり、(舞台の上で!)水を飲んだりする他の役者。

この光景ってどっかで観たことないか?

そう。舞台は早朝のファミレス。登場人物は、出社前の派遣さんと若い兄ちゃん二人組に店員さん。
それぞれが自分の思ったままのことを、いやおもったままかどうかも定かではない、誰かの台詞を代弁したり、誰かの説明をしたり、もう圧倒的に自己がない。


この不安定さがすごく気になった。
見終わった後にも、どうにもうずうずした気持ちが収まらずに煮え切らなさだけが残った。
でもここに描かれている人物たちは、「って思うんですけど〜、私的には〜」といった現代的な会話に象徴されるように、あまりにリアルでだ。思っていることを押し殺して接客を行わないと行けない店員。自分の時間と会社の論理とに分裂されながらも「フリータイム」を守り、時々妄想に走る派遣。

ストーリーは存在しないし、劇中の性格付けなんてないのに、それでも他者の目からのキャラ付けを逃れられない派遣女性にも恐怖すら覚えたり。


いろいろと不可思議で入り込めなくて、気持ち悪い感じが残るんだけど、それがきっとこの作品の魅力になるんだと思った。