『走ることについて語るときに僕の語ること』

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彼のエッセイはこれまでいくつも読んできた。もちろん旅行記やちょっとゆるい朝日堂なるものや翻訳も通読している。しかし、彼がここまで突っ込んで自分のことと小説を書くと言う行為にまで言及したのはこれがはじめてだろう。


なんでも10年前から構想があったがなかなか書き進める事が出来なかったと書中で白状している。もし10年前に書いたとしたら、今と全く違ったものになっていただろう、とも。それは全く正しい推論だろうと思う。おそらく。そして僕としても、10年前ではなく、2007年現在で書かれたものを読むことが出来てタイミングがすごく好かったと思う。


なぜか。
とても痛快だったからだ。
タイムの上がらなくなったマラソンを話の肝にすえて、これまでの人生を思い起こすように語るその姿勢はとても人間臭くて、説得力に満ちていた。村上春樹作品の主人公のような浮世離れしたシティ派感覚(古い?)はそこにはチラチラ顔をのぞかせる程度で、小説に向かう姿勢とマラソンに向かう姿勢の真摯さがとても新鮮だったのだった。


そこにあるのは、共感であった。


リスクを犯しながら、確実に目標を立ててそこへ向かって努力する、傍から見るよりもずっと堅実な性格。
思い返せば、作品の主人公もそうなのかもしれない。
過剰に女の子にもてるところに目が行きすぎていただけなのかもしれない。



これまでのどんなエッセイよりも面白く読めた。
そしてコレを読んだことで、小説の方も読み方が変わってくるのではないだろうか。
そんな転換をうながす、温度のあるモノローグであるのです。