布施英利 × 茂木健一郎 (クラブキング)主催

銀座のアップルにてディクショナリー主催の茂木健一郎対談を聴きに。
先日これまでの対談が『芸術脳』という本にまとめられたが、これが抜群に面白かったので突発的に行ってみた。無料だしね。

布施さんについてはあまりしらなかったのだけどどうやら東大の先生らしく、研究室の生徒さんがけっこう来ている。


テーマは「この時代でいかに立ち、郡を抜ける存在になりうるか」ということ。
主に芸術を中心に思想をめぐらせた。


まず茂木さんは、村上春樹の主人公がめちゃもてるところや、村上隆の作品(アートの文脈に対する戦略性を抜きにして作品単体でみた時の魅力)自体は、どこかすんなり賞賛できないところがあってそれがどうしてもひっかかってくるのだけど、それは決して無関心とは違う。気になってくるものには、「何か」があるのだ。例えば、それはフェルメールのように生前に理解されずとも100年も甘美なものとしての評価を得る事もあるかもしれない。

そのひっかかり、100年後に評価を得るために必要になってくるものとは、おそらく「毒」ではないか、と。


布施さんはそれに対し、芸術は「死」を扱うものであると定義する。
茂木さんも、浦澤直樹のプロデューサー長崎氏の発言を引用し、「作品にするためには手放すことが必要であり、その意味でクリエイターは作品にさよならできる、つまり’死’と常に向かい合っている存在」と返す。


茂木さんは、特に若い人に向けて言っていたのだが、作品は抱えていてはいけないのだと投げかけた。作品を抱えて、よくしていこうとしている時は楽しい。だけど、その行為を終わらせて、これで完成!というところまで持って行かないと意味を成さないのだと。


その後も、世の常識をあっさりと覆すような言説の数々が飛び出してきて、予想のつかない90分となった。興味の範囲が広くて、とにかくその言葉に信用が置ける。
現代で最も信頼できる思想家の一人なのではないだろうか。


とりわけ、遠巻きからそれらしい評論を飛ばすのではなく、表現者の側にいる人間の言葉は聴者の心に響く。
しかし、茂木さんからはなんだか怒りを感じたな〜


12月にはホープフルモンスターと題した、イベントもあるのでこちらも要チェックだ。



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