地震

1000年に1度、と言われる未曾有の地震が起こってから10日目。
これまで観たこともないような事態が次々に起こり、情報に翻弄され、様々なことを考え、人生観も変化せざるを得ない体験となった。


いかにこれまで信じていた「日常」がかりそめのものだったか。
その一時の日常に甘んじて、のんびり生きてきたに違いないこと、
そしてなにより、いまもその被害の真っただ中にいて、苦しい生活を余儀なくされている人たちが大勢いること。

この事態に「なにかしたい」とずっと考えています。
だけど出来ることはほんとうに少ない。実感を持って役に立てていると思えることなんてないも同然。(もちろん寄付や節電や買いだめしないとか基本的なことはできるけれど…)


twitterfacebookの書き込みで各所で起こるポジ/ネガの発言・やり取りを追いかけながら、もう答えのない問題ばかり悶々と考えてばかりでしたが…
今、感じるのは「なにかができる」という実感なんて正直、そんなものはいらないのだということです。むしろ、役に立てたという中途半端な自己満足なんていらなくて、歯がゆい気持ちを持ち続けながら、なにがしかのアクションを継続していくことが必要なんだと思う。


というのも、復興までの道のりって、ほんとうに長く、険しいと思う。


今はまだ行方不明者を探したり、避難者の住居を確保すること、原発事故を止めることが最優先課題だけど、その先には壊滅した街の復興や風評被害の解決や。もっと拡げると、今回起きた「停電」「原発」の事象を受けて、これから日本はエネルギーをどうするのかという、自分たちに大きく関わるライフスタイルの転換も受け入れていかないとならないはず。


今、寄付を○○円しました、くらいで「何かできた!」と思ってしまってはまずいわけで。


各所でいわれているように、今回の震災から「復旧」ではなく、「復興」。
ここを転換点にして、あたらしい価値観が生まれる…そのくらいのものにしないと、これから日本はほんとうに立ち行かなくなるような気がしている。。(大きな話すぎて手に負えないわけですが…)


自分が仕事で関わる「観光」という分野も平和な土台があってこそ成立するもの。
東北のために、というと偽善っぽく聞こえてしまうのだけど、おそらく復興を意識することは自分たち、東京に住む人にとって、日本に住む人間にとって、絶対に必要なことのような気がしています。


今はとにかく自衛隊消防庁、東電の現地スタッフ、NPO、支援者の方々等々を応援するしかないのですが、次の段階へいけば復興のための寄付やお金が必要になるとおもいます。そのときに自分たちに馴染む形で、お金を回せるように情報をあつめておきます。どこからどこへお金を回すか、ということは自分の思想がでる部分だと思います。いくつくところが同じでもその思想に忠実に。それが無理のない参加、ついては継続性の源になるんじゃなかと感じています。
寄付先はなにもジャニーズばかりじゃない!笑