中学3年の時に。

高校受験シーズン、CDを借りるのも自分に禁じて、勉強に励んでいた時代。ラジオで当時発売されたばかりの「everybody goes」を聴くのが唯一の(?)楽しみだった。
近くのTSUTAYAにいけばすぐなのに、それを禁じているから、電波の悪いうちのラジオに耳を澄ましながら、時にはいらいらつまみを回しながら、聞き入っていた。


いや、そんなにいい曲かというと、とくだんそうだったわけでもなく、今となってはなかなか自分へビロテの中に入ってこない「過去の曲」なわけなんだけど、当時どういうわけか、執着してようだった。そのときに「あぁ受験終わったら、思う存分聴きまくろう」と誓いを立てたわけだが、あのとき受験終わって借りに走ったTSUTAYAのシーンはなんだか、今でも鮮明に覚えているなぁ。



お金や自由があって、いつでも手に入って、欲望が満たせて。それが幸せに直結しないことは、もう誰もうすうす気付いて入るんだけど。もっと言ってしまえば、あの当時のラジオから雑音とともに聞こえてきたエブバデゴーズのような、未来への欲求さえあれば、なんとか頑張って生きていけちゃうように思う。
仕事でもプライベートでも、それって思った以上に大事なんだろうな。


高価なワインも、仕事帰りのビールも、値段は大きく違えど、脳の感じる幸せ度には優越付けがたいと茂木さんは言うけど、将来の「あれしたい」「これしたい」がないと、今を楽しめない気がする。


それって、今あるもので満足するとか、小さな幸せを発見するとかってことと、近いような気もするし、欲求をダウンサイズするということにもなるのかもしれないけど、どちらとも違う気もする。



視ている先が、足下なのか、少しだけ先なのか。


数日や数ヶ月じゃ、何も変わらない。
なにかが変わったと思えるのは、何年か先に振り返った時だけだと思う。



今何かを我慢してがんばって、その先にあるものを大きく描く。


そうやって生きていかねば。