結成20周年!?ミスチルライブに行く!
ミスチルのライブに行って来た。会社帰りに武道館だ。
ライブ、いつ以来だろう。周りの客層を見ると、けっこう年齢層が高くて、あぁファンも一緒に歳食ってんだなぁとどーでもいいことをしみじみ思う。
肝心のライブだけど…
一言で言えば、コレまで見た中で一番「楽しそうだった」
「楽しかった」じゃなくて「楽しそう」。
桜井さんが、終止テンション高くて(DVD撮影も影響あるかも)、酒飲んでるんじゃないかというほどこれまでになくMCも長い。しかも、20年前の写真を家から持って来たとかで、スクリーンに映す「ゆるさ」っぷり。
これまでじゃ考えられない力の抜けようだ。
かつて「DISCOVERY」のツアーを武道館で観たけど、そのときはアルバムの世界観を再現することが主要課題だった。それはいつのツアーも一緒だった。
こうやって、なにしゃべっても、どう思われてもOK、過剰な演出で感情を煽ることもなく。
「エブバデ〜」や「イノセント」もノリでやっちゃうなんて。。
そんな、ライブに対する、もっと言ってしまえば、音楽に対する向き合い方が自由になったのかもしれない。
まぁでも、あのころの悩んでます全開のアルバムとツアーがあったからこそ、
おれはミスチルという運動体にのめり込んでしまったのかもしれないなぁとも、同時に思うわけで。
そこで、ちょっと数えてみた。
ライブに行った回数。
フェスを入れると16回。
多いのか、どうなのか。。
15歳で彼らに魅了されてから、彼らの音楽は常にそこにあった。
昔の曲も、当時の思い出とセットで記憶されている。見事に「思い出のしおり」。
よくよく考えてみると、(こんな言い方をするのはすご〜く恥ずかしいけど)
やっぱミスチルに人生狂わされたと思う今日この頃。
彼らの音楽を聴き続け、見なくてもいい夢を見続け、信じなくてもいい自分を信じ、
勘違いのママ、気付けば30です。
まぁ見た目、低体温・低血圧な人間ですけど、やっぱどこかで「世界は変えられる」という気持ちを捨てきれない自分もいて、自分に対しても世界に対しても期待値が高い。
普通、大人になることって、現実の自分と折り合いを付けていくことなんだと思うんです。
そうやって、生きやすいように社会と自分の位置をコントロールしていく。
だけど、ミスチル聴いていると、なんだかそれでいいのか?って気分が刷り込まれてしまっていて。
日常になだめすかされた感情をいとも簡単に解放させる。そんな音楽を、中毒のようにずっと聴き続けているのだから、性格や志向も洗脳されるってもんです。(こうやって宗教は出来上がっていくのだと思う。)
だから、その副作用として、描いている自分に「追いつけない」気持ちは常に抱えていて、
それをどう解消するかっていうのが、結局死ぬまでつきまとう自分の課題なんだと腹を括り始めた次第なのです。
まぁ結局は、何も起きなくてもパドリングしなさい!
ということなんだな。
そう思うと、それが一番しっくりくる今の答えなのです。