平泉〜鳴子温泉


高速料金が1000円になるということで、早速その恩恵を受けに行くことにしました。できるだけ遠いところを、ということで、これまで訪れたことのない岩手県を目指すことに。


目的地は「平泉」。
理由は単純。「中尊寺金色堂」が見てみたかった、それだけです。
東北って、東京に対するカウンターのような位置づけにあるような気がしていて、古川日出男の『聖家族』を読んで以来、歴史的にも異色な東北の位置づけが気になっていた。しかも中尊寺は、奥州藤原氏が京都に対抗して、東北の栄華を誇示するために金箔のお堂を建てたらしい。周縁の中心というか、不思議な場所ではなかろうかと。


金色堂は写真撮影禁止でした。
なかなかすごかった。しかし…仏像は展示のために主張中とのこと。しかもその出先は…世田谷。。東京から来たんですけど。すれ違いだ。。


お堂の方は金箔を補修しているけれど、仏像の方はさびるがままに任せている。でも、逆にその方がありがたみが増すように感じるのはなぜだろう。お堂はペンキ塗り立てみたいで、興醒めでした。日本人の感覚って不思議だよね。

コチラも観る。
約1000年前の仏像の微笑みに慈悲を感じ入る。1000年もの時を超えて心に響くものを作る。なんていい仕事するんだろう。本気でそう思えた。自分も、時間を超えて後世に残る仕事をしたいもんです。1000年は無理でも、自分の死後も誰かに影響を与えられるような。。


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宿は、鳴子温泉の大沼旅館。
一人客歓迎の情報通り、お出迎えから部屋まで食事を運んでくれるサービスまで、すごく気を使ってもらえました。湯治館があるだけあって、一人客も多いのかもしれない。

施設は老朽化激しく、贅沢さは全くないけれど、1人や団体ならば全然問題ない。温泉も7カ所あって基本はいり放題。お湯も豊富で、さすが鳴子、といった感じ。1泊2食、1万円なり。



翌日、鳴子峡や鬼首をふらふらドライブ。


旅行の形態が変わったと言われて久しい。
若い人は旅行に行かなくなったという。
たしかに、つくばの教授に聞いた話では「最近の大学生はクルマに乗らない」という。じゃああの車社会の街でどうやって移動するのかといったら循環バスなのだそうだ。うちらの時代でさえ、クルマ一台は必須だったのに。遊びといえば、基本ドライブだった。たしかに、時代的に旅行に対して憧れを持つ世代ではないし、スキーや慰安旅行といった「レジャー」的なものに対する拒否感、ださいよね?という意識も強いと思う。

でも、それは提供する側が価値観の変容に対しきれていないからであって、彼らも価値さえ見いだせば、外へ出掛けて行くんじゃないか。

たとえば、これだけ野外フェスが人気の現状。CDは売れないというのに。農業やボランティアを屈託なくこなしてしまう世代だけに、価値さえ合致すれば旅にも出るんじゃないだろう。
キーワードは「体験」。
ネットで情報としてほとんど手に入る。だからこそ、リアルな手触りが求められている。音楽も、データでDLできる手頃さの反動が、汗だくになって聞くフェスという形態へと足を運ばせる。
観光スポットを巡って観た気になるだけの旅じゃなくて、そこでどんな価値の転覆を起こせるか、それこそが若者が旅に求める一つのハードルなのではないだろうか。