【書評】『中田英寿 誇り』
『中田英寿 誇り』
ちょうど一年前の今頃。眠い目をこすりながら観たワールドカップ予選のブラジル戦。試合後、悔しさを通り越して空虚な気持ちに捉えられ、しばしそこから動くことができなかった。そして今も目に焼き付くのは、興奮覚めやらぬ試合後のピッチで、大の字になって倒れこみ、ユニフォームを顔にかけたまま動けなかった中田の姿である。それはまるで、ワールドカップに熱狂とともに潜む寂寥感、勝負の中での光と影を象徴するような光景であった。
よもやその瞬間、彼が引退の余韻に浸っているとは、当時は思いもよらなかったのであった。
あれから1年。
忘れていたこの複雑な気持ちが、まるでフラッシュバックするかのように鮮明に蘇った。
それは、著者の小松成美の精緻なる筆致と、中田英寿に寄り添うような視点があればこそ表現できる境地なのだ。『中田英寿 誇り』というこの日本サッカー界の遺産ともいえる記録は、中田本人が想いを形にしたという類のノンフィクションではなく、小松成美が彼を理解しようと彼の心に踏み込み、時に想像を思いめぐらし、決して目をそらさなかったという結果生み出されたものなのだ。
我々は小松成美を鏡として、そこに映る中田英寿の生き様を読んでいる。
そのことを、他のどんなノンフィクションよりも強く痛感する。
そして、彼女の意識が中田の感情とシンクロし、共鳴する瞬間、読者はまるでピッチの上で起こる全てを、まさにそこに立っているかのような視点で体感することが出来るのだ。
王者ブラジルに対し2点リードされ、タイムアップの笛が刻一刻と近づいている、その瞬間に。
――押し寄せる孤独と絶望から逃れるためには、また走り出すしかなかった。ぜいぜいと聞こえる激しい息遣いと痛いほどの心臓の鼓動が、朦朧とする意識を覚醒してくれた。
改めて、中田英寿というサッカー選手の数奇な人生を思わされた。
それはあまりにも多くの外的要因に翻弄され続けた人生でもあったのではないだろうか。
もう彼のような才能が出てくることはないだろう。
「サッカーを楽しめない」
彼がそういってユニフォームを脱いでしまったことを、いちサッカーファンとして心から残念に思わずにはいられない。