言うは易しというけれど

先日テレビで爆笑問題が出てるような政治討論番組があったんですわ。

その中で、民主党の政策紹介〜がされていたんです。


「高速道路無料」「高校無料」「中学までの医療費無料」


無料無料ばっかじゃん!
…ということで、「ホントに出来るのかよ!」と誰かが突っ込んでいて、
さらに雛壇芸人的な人物が、


「そりゃあキャバクラ1時間無料って言われても信用できないのと一緒ですよ!
何か裏があるんですよ!」


のようなこと言っていた。


そこにすごく違和感を覚えてしまって。
それって世間の空気なのだろうか。


すでに「無料」がよいか悪いか、ではなく、
絶対に出来ないんだから信用ならない、という不可能から入ってしまっている。


それも財源がない、というホントかウソか検証しようのない(一般的国民には)という
レベルでの判断。


なんだかね、出来るか出来ないかの前に、もっと理想をバーン!と掲げてほしいなっておもうわけですよ。そしてそれをもっと期待して、要求していいと思うんですよ。


オバマを見ていて、共感を覚えるのはまさにそこで、
「核を廃絶する!」「核を使用した世界で唯一の国として責任を全うする」
なんてことは、これまでの大統領は言ってこなかった。


「どーせ、そんなの出来ないじゃん」じゃなくて、まず言葉にする。


民主党も、高速はともかく高校の授業料や医療費がただになったら
いいに決まっている。ならばそれを支持すればいいだけじゃないですか。


たとえそれが無料にならなくても、財源のかける比重がこれまでより変われば、それも一つの実りじゃないですか。


と。政治の話をしたいわけじゃなくて、
理想を言葉にするという力をトップの人たちがもっともっと使ってほしいと思っていて。


そうしないとどうも世界は変わらないんじゃないか、ということが
徐々に見え始めているんじゃないでしょうか。
やっぱりうさん臭さのある現実主義だけでは(排出権取引とか)
変わっていかない時代なんじゃないかというのを強く感じるのです。


それは個人レベルの話にも当然降りてきて、
「夢に日付を」じゃないけど、結局成功するかどうかの分かれ目って、
「言葉」と「行動」の距離をどこまで縮めるか、ということでしかないのかもしれない。


やりたいことを言う、言ったことをやる。


だから「言うは易し、行うは難し」じゃないんです。


本当にやりたいことだったら「言う」時点で難しいことで
そこに責任を持って、超えていこうとすることでしか成長はないな、と。。


ふと思ったわけです。


まぁあと二週間ほどで、30歳です。。